[2012.9.10] -[クローズアップ]
不図彼等の意図、ものになるべしという気する(志賀直哉の小林多喜二虐殺の日の日記)
市田書記局長が記念講演
9月9日、日本共産党創立90周年を記念して奈良県委員会の祝賀会が奈良市内でおこなわれました。
県内各地の自治体、諸団体の代表も参加し、奈良県議会からは議長のメッセージ、脱原発議員連盟の会長からのメッセージが紹介されました。市田忠義書記局長が記念講演(全文を以下に掲載)し、各界の代表者のお祝いの言葉などがされ、会場内のあちらこちらで参加者同士が歓談するところが多く診られました。
日本共産党県議会議員団は5人全員が参加。太田、宮本、小林の各議員が司会進行役を務め、山村団長は各テーブルを市田さんを案内してまわりました。5人全員で市田さんと記念写真をとるなどしました。
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この日の市田書記局長の記念講演全文は次のとおり。
プロレタリア作家・小林多喜二が奈良に住んでた白樺派の巨匠といわれた志賀直哉に意見をもらいに自宅をたずね、宿泊したことなども紹介し、多喜二が虐殺されたことを知った志賀直哉が日記のなかで、「アンタンたる気持ちになる」とのべて、「不図(ふと)彼等の意図、ものになるべしという気する」と書いたことを紹介し、「彼らの意図」、普通選挙権獲得や戦争反対、8時間労働制などのことをさしているが、これは戦後、憲法にしっかりといきた。われわれの意図がしっかりと実現するために、90年間、党員は国民といっしょに活動してきた、こうした先輩の活動を引き継ぎ、必ず前進するという決意を述べて話を結びました。
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日本共産党創立90周年記念祝賀会
記念講演
市田 忠義書記局長 みなさん、こんにちは。ご紹介をいただきました市田忠義でございます。今日は大変忙しい中、日本共産党創立90周年の記念祝賀会に多くの自治体関係者の皆さん、そして各界各分野からこんなにたくさん、お集まりいただきましてありがとうございます。私からも心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。
さて、政局は大変、激動をしております。秋の臨時国会の冒頭にも解散がおこなわれるのではないかという可能性が強まっております。マスメディアは民主党、自民党の党首選挙の報道でもちきりであります。今日は「大阪維新の会」の公開討論会もおこなわれており、いよいよ国政への進出を狙っております。
そこで、今の情勢をどうみるかという問題ですが、私は一言で言ってこんなにおもしろい、頑張り甲斐のある時代はないのではないかと思っております。日本共産党を抑え込むための究極の反共シフトとも言うべき2大政党づくりは完全に破たんをいたしました。民主が自民のどちらかを選べと言われても選びようがありません。
3年前の総選挙での“自民党政治を変えてほしい”という国民の願いはことごとく裏切られました。いまや民主党と自民党の違いは顕微鏡で探しても、その違いが分からないぐらいであります。
民主、自民、公明の3党談合政治によって消費税の増税法案がごり押しをされました。しかし私は、たたかいはいよいよこれからだと、そう思っています。法案が成立後も、国民の怒りは収まっておりません。「毎日新聞」の世論調査では「消費税がもし増税されれば生活が苦しくなる」と答えた方が何と92%であります。おそらく実施が近づけば近づくほど怒りは高まる。実際の消費税の増税は今から2年後であります。ますます怒りは高まるでしょう。しかも、2年後の実施までに、幸いなことに、総選挙と参議院選挙、少なくとも2回以上の国政選挙がおこなわれることは確実であります。
民主党の長老で、民主党の幹事長をやっておられた頃、私も仲が良かったのですが、元大蔵大臣、財務大臣を務められた藤井裕久氏が、先日、あるテレビ番組でこうおっしゃいました。「法案が通ったがこれからが大変だ。選挙に負けて増税廃止法案が提出され、成立したら、元も子もなくなる。えらいことになる」、こう発言されました。
消費税に頼らなくても別の道がある、すなわち、増税するなら、まず何よりも富裕層と大企業に、そして国民の懐を温める経済政策を実行して経済の再建を、この道を堂々と示しながら、皆さん、相手がせっかく心配してくれているのですから、その心配に見事に応えて、総選挙での日本共産党の躍進を果たし、彼らの心配に、きちっと答えようではありませんか。そのためにも、日本共産党への大きなご支援を心からお願い申し上げます。
それにしてもどうして民主党政権が自民党よりも自民党的になったのか。私はこれは偶然ではないと思います。それは、私たちを苦しめている“あまりにもアメリカの顔色ばかりをうかがいすぎだ”、“一握りの大企業さえ儲かれば後は野となれ山と成れ”、このゆがんだ政治には民主党政権が生まれたけれども、指一本ふれようとしません。
多くの国民は今、深い閉塞感にさいなまれています。しかし、あきらめてはいない。ひどい政治をなんとか変えてほしい、政治を変える1票を行使したい、大規模な前向きな模索がいろいろな分野でおこっている、これが、あの官邸前の毎金曜日の、数万の人たちが取り囲む。原発問題でもTPP問題でも消費税の問題でも、オスプレイの大問題では今日、沖縄で大きな集会がおこなわれました。そういう激動がおこっているのが今の情勢だと思います。
何か変えてくれるのではないかという国民の思い、閉塞感につけこんで、まるでヒーローのように、今日、マスコミ関係者が来ておられて申し訳ありませんが、マスコミが天まで「維新の会」をもちあげるものですから、彼らに期待感が高まるのではないか。しかし、私は坂本竜馬は草葉の陰でなげいていると思います。「維新八策」を読んでみますと、憲法9条の改悪、TPPの推進、消費税増税容認、地方交付税の廃止、日米同盟基軸(もっとアメリカ言いなりになりなさい)、参議院の廃止。私は議員でなくなってしまいます。そして衆議院定数を半分に、さらには、あの超タカ派の安倍晋三氏を党首にという構想まで当初、ありました。
絶対に軽視をしてはなりませんが、中身をみれば恐るにたらない。アメリカと財界言いなりの政治には一切メスを入れないで、破たん済みのあの小泉構造改革の失敗した新自由主義路線を、もっとも極端な形でしかも独裁的な方法で復活させようとするのが維新の会の動きだと思います。これに多くの国民は絶対にだまされることはないだろうと確信をもっています。
政策、路線とともに、改めて今、政党とは何か、これが鋭く問われています。今、民主党と自民党の党首選挙がおこなわれ、総選挙を前にして、いろんな勢力の動向が報じられていますが、そのどれを見ても国会議員あるいは国会議員になりたい人が、どの看板だったら通りそうか、どの看板なら当選できるか、「看板選び」。私は一種の政治の退廃現象がおこっていると言ってもいいと思います。
決められない政治、決める政治が大事。しかし、何をどう決めるかということを問題にしないで、悪い政治なら決めない方が良いということを堂々と言う政党、マスメディアは少ない。元総務大臣の片山善博氏は『中央公論』の座談会で「政党には党員がいて、党員の願いをかなえるための政策があり、その政策を実現するために候補者を制定して当選させる、日本に、共産党などを除くと政党らしい政党は事実上ない、『維新の会』も草の根で党員をあつめて政策を考えるという地道な基礎工事なしに次の選挙に出せそうな人を見つけて促成栽培をする、既存の政党とまるで変わらない」。
先ほど医師会の会長がおっしゃいましたが、小沢ガールズ、小泉チルドレンならぬ、橋下ベイビィばかりが生まれるようでは日本の政治も終わりであります。
日本共産党は結党以来、国民の苦難軽減を立党の精神に国民主権、国民の暮らし優先、戦争反対を願う党員たちが草の根で命がけで、90年間、活動をしてまいりました。今、全国に30数万人の党員、全国に2万1千の支部、100数十万の「赤旗」読者、2700人を超える地方議員が国民の日々の暮らしの中にある希望や要望をくみ上げて政治に反映させるために頑張っています。
自民党の谷垣総裁が先週の日曜日、私の出身地であります滋賀県の4個所で街頭演説をやりました。そこで「浮草のような党とちがって、草の根で頑張っている共産党は敵ながらあっぱれだ」と、こういう演説をしておりました。
来るべき総選挙でこの日本共産党が躍進することは、私は共産党にとって大事なだけでなくて、先ほど、せめて各県に一人ぐらいの共産党の議員を、頑張れというお手紙をいただきました。そういう期待に応えて、日本共産党が躍進することは国民の皆様から我々に課せられた国民の皆さんに対する責任だと、そう痛感します。全力を挙げて頑張りますので、どうかお力をお貸しください。よろしくお願いします。
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今日は党創立90周年のレセプションでもあります。そこで、少し歴史についても触れてみたいと思います。
戦前のプロレタリア作家、小林多喜二は実は白樺派の巨匠であり、文壇の大家といわれる、奈良にもゆかりの深い志賀直哉を大変、尊敬していました。1930年、多喜二は治安維持法違反で検挙されました。とらわれていた奥多摩刑務所から志賀直哉あてに手紙を出しています。その一説を紹介します。
…私は汽車の窓から二度程見た奈良は、吹きっさらしの北海道に比べては、箱庭を見るように、温かく、思われました。冬には雪が降るのですか、そんな処でも。私が此処を出るようになったら、必ず一度、お訪ねしたいと思い、楽しみにして居ります。(1930年12月13日 志賀直哉宛書簡、『小林多喜二全集』第7巻)…
この願いどおり、手紙を書いた翌年、刑務所を出た多喜二は教えを請いに志賀直哉邸を訪ねました。
私は今日、この会場に来る前に奈良市高畑町の志賀直哉旧居を訪ねました。閑静な住宅街に数寄屋造りの簡素ななかに合理的でモダンな大変魅力的な建物と庭が残されていました。
実は、小林多喜二は歩き方に大変クセがありました。有名な『党生活者』という小説の中に特高におわれている多喜二と母が料理屋で落ち合う場面があります。そこでお母さんが「どうも、お前の肩にクセがある。知っている人なら後ろからでも、すぐお前とわかる。肩をふらないように歩くクセをつけないとね」と、特高につかまらないようにと子に想う親心でしょう。この場面は後に文芸評論家としても著名であった宮本賢治氏が「母親についての日本の文学のなかでもっとも光り輝く一説」と評しました。 それはともかくとして、私は今日歩いた道を多喜二も肩を振りながら歩いたのかなとふと、思いました。
二人は何を語り合ったかおっしゃっていませんでした。多喜二が泊まった部屋をみせていただきました。おそらく文学の在り方、日本の現状と未来などについて熱く語り合ったに違いないでしょう。志賀直哉は、小林多喜二が拷問で殺されたときに、日記に次のように書きました。
…小林多喜二、2月20日(世の誕生日)に捕えられ死す、警官に殺されたらし、実に不愉快。一度きり会わぬが自分は小林よりよき道をこう、好き也、アンタンたる気持ちになる、不図(ふと)彼彼等の意図、ものになるべしといふ気する…
そして母、小林せきさんに心のこもった弔電を送りました。多喜二の葬儀に参加しただけでも逮捕、投獄された時代に、当時の文壇の大家と言われた作家、志賀直哉が心のこもった弔電を小林せきさんに送りました。
「彼らの意図、ものになるべし」、「彼らの意図」すなわち、主権在民、普通選挙権、8時間労働制、戦争反対。当時、小林をはじめ、日本共産党がどんな弾圧にも屈することなくたたかい、これらの要求は戦後、日本国憲法に明記され見事にものになりました。真理は必ず実ります。
今、日本の政治が直面している課題、東日本大震災からの復旧復興、原発ゼロの実現、消費税増税阻止、TPP参加阻止、オスプレイ配備阻止、そして日本政府の根底に横たわる、あまりにもアメリカ言いなり、財界の利益中心という政治の打破にむけて、わたしたちの「意図、ものになるべし」という状況を必ずつくりだすために、みなさんとごいっしょに全力をあげて奮闘することをお誓いし、ご参加の皆さんにお礼を申し上げて、ごあいさつといたします。ありがとうございました。
(了)