[2010.11.18] -[政策]
日本共産党奈良県委員会(沢田博委員長)は2010年10月、「纒向遺跡の保全と継承についての見解と提言」をまとめ、発表。11月17日には、同県会議員団(山村さちほ団長、5人)が奈良県文化財保存課に見解と提言を渡し、意見交換をおこないました。
「纒向遺跡の保全と継承についての見解と提言」全文は次のとおり。
纒向遺跡の保全と継承へ
日本共産党の見解と提言
2010年10月26日
日本共産党奈良県委員会
はじめに
日本共産党奈良県委員会は、県内の文化遺産の保全・継承と自然・景観の保全を重要な課題の一つとして取り組みを進めてきました。
1996年8月には「奈良市の文化・自然遺産を世界遺産に登録することについての提言」を発表しました。「提言」では唐古・鍵遺跡や纒向遺跡などをあげ、これらを世界遺産への登録の検討対象とすべきとして、関係機関への申し入れや県民との対話を進めてきました。
この立場から、近年の発掘調査や研究の成果もふまえて、纒向遺跡の保全と継承をはかっていくために何が必要か、見解と提言を発表し、広く県民と関係者の検討をよびかけるものです。
1.国、県は稀有な歴史遺産にふさわしい支援を
纒向遺跡は、2世紀の終わりから4世紀の中ごろまでのあいだ栄え、初期ヤマト政権が誕生した地域とされています。列島の諸地域との盛んな交流を示す都市的性格をもつ集落跡で、日本で最古の巨大前方後円墳・箸墓古墳が遺跡の南端近くにあります。
最近の発掘調査では桜井市教育委員会がJR巻向駅近接地で、3世紀初めから中頃までの間、柵列を配し、大小4棟の建物が方位や中軸線をそろえて建っていたことを確認したと発表しました。これらの建物群は、弥生時代とは明らかに一線を画す高い規格性もつものと指摘されています。
纒向型前方後円墳の研究などを重ねてきた県立橿原考古学研究所の寺沢薫氏(同研究所総務企画部長)は「纒向遺跡が日本列島における王権誕生の直接的資料であり、弥生時代から古墳時代へという日本古代史上の時代区分論の鍵を握った遺跡であることは動かしがたい事実ではなかろうか」と著作で記しています。
各地の文化財保存に携わってきた文化財保存全国協議会常任委員で五條文化博物館元館長の石部正志氏は、「日本の国の歴史を決定づける情報をふんだんに秘めた、ほかに代替することのできない遺跡であって、全域を史跡に指定して保護することが急がれる」と話しています。
文化財保護法は、史跡指定の要件を「我が国の歴史の正しい理解のために書くことができず、かつその遺跡の規模、遺構、出土遺物等において学術上価値あるもの」としています。纒向遺跡やその周辺は、これらの要件に該当する重要な歴史遺産が多数存在する地域と考えます。
桜井市の谷奥昭弘市長は「さらに纒向遺跡の学術調査を続けて、遺跡の保全、活用を行うために財政支援を含めた特別立法を国にお願いしたい」と話しています。
地方自治体の文化財関係予算は、国の「三位一体改革」による地方財政削減の影響を最も受けている分野の一つとなっています。それだけに、纒向遺跡の保全と全容解明という社会的要請にこたえて、国が率先して遺跡の保護と計画的な調査にあたることが急がれます。
その上で、これから遺跡の調査を安定的、計画的に進め、保存と整備をはかっていくために対応が必要なことや、克服しなければならない課題について提案します。
2.遺跡全域を史跡として保存を
第1は、史跡指定を個々の古墳など部分にとどめずに、遺跡全域の史跡指定にむけたとりくみを長期的展望に立って始めることです。纒向遺跡は東西約2㌔、南北約1.5㌔と広大で、すでに遺跡内には多くの住宅が建っています。このことから市や県などは現在のところ、個々の古墳や去年出た大型建物跡などで基礎調査が終わったものから順番に史跡に指定しようという方針です。
しかし、纒向遺跡の面ではなく、点を保存するという部分保存・重点保存では、いくら遺跡の核となる部分を発掘しても、中長期でみれば古墳などが点々と残るだけで、結局魅力のない遺跡になってしまいかねません。
古墳や建物遺構を点としてではなく、広域的に面として保護することが、遺跡の保存、調査、活用にとって有用であることは、全国の遺跡保存の教訓が雄弁に物語っています。
弥生時代屈指の集落遺跡である大阪府の池上曽根遺跡(和泉市・泉大津市)は1976年の史跡指定後、19年経ってから、その遺跡の「目玉」となる神殿様の大型建物遺構が発見されました。
当時、急速な市街化が進むもとで、遺跡の中心部分11・5万平方㍍の広域な史跡指定がなかったら、大型建物の発見や研究は困難であったし、ましてや現在のように復元して史跡公園として活用することもできなかったでしょう。
また、平城宮跡は、全域が特別史跡として保護されたからこそ、今日まで計画的な調査が続けられ、出土資料の展示を始め、市民の散歩やスポーツ、野鳥観察など多彩に活用されるようになっています。
こうした教訓にも学んで、纒向遺跡の部分保存の立場を克服し、遺跡全域を保全する立場に発展させることが必要です。
3.全体像つかむ計画的な調査を急いで
第2に、遺跡の全体像を明らかにする調査を桜井市だけに任せるのではなく、国や県の調査機関と連携して計画的に行うことです。これまでの纒向遺跡の大部分は開発を伴った緊急調査というものでした。
県教育委員会の担当者は「遺跡の北と南の境界がはっきりしない。あるはずの倉庫も見つかってない」としており、分からないことが多く残されています。調査がおこなわれたのは全域の5%ほどです。
今後、計画的な学術調査を行うこと、まず、試掘調査も含めた基礎調査をやって遺跡の範囲を確認していく作業を行うことが必要です。範囲確認も行って全体像をつかめば、史跡指定された後に史跡公園として整備する場合にも役立ちます。
近年の調査で大王墓とされる箸墓古墳の墳丘を囲む幅60㍍にも及ぶ可能性のある周濠の存在が確認されました。同古墳の保護をはかり、解明していくために周濠の範囲を確認していく調査を国が支援して行うことが必要です。
4.三輪山望む景観の保全を
第3に景観保全の観点です。この地に栄えた文化は古くから信仰の対象であった三輪山と密接に関連があると言われています。纒向地域からの三輪山を眺めることができる景観を守ることが大切です。県の景観計画で重点地区として守るという区域も不十分なものです。
風致地区に指定されているのは三輪山本体とそのほんの周囲にとどまっています。遺跡のバッファゾーンを守ることが世界遺産条約の精神であり、対策が必要です。
5.既存集落・農地の維持をはかり、商業ベースの開発を抑える
第4に、既存集落の維持をはかりつつ、商業ベースの新たな開発を抑制するという問題です。
遺跡の中の大部分は、市街化調整区域でこれまで開発や一般の住宅建設できなかったのが、規制緩和でだれでも住宅(区域によっては「小規模工場」も)の建築が可能になりました。商業ベースの宅地開発が進行すれば、古墳などが住宅などに囲まれてしまう恐れもあり、遺跡の環境として魅力がないことは明らかです。
また、農業経営がたいへん困難な中で、農地の維持、住居の維持をはじめ、高齢化している纒向地域の住民への支援が必要です。
6.遺跡を守る県民、関係者の共同を
遺跡の保護や調査の推進のためには、行政的な枠組みとともに、当該地域の住民の方々の理解や協力が欠かせません。
住民の多くは纒向遺跡を保存活用することに賛成しています。しかし、住民の合意なしに行政的に網をかぶせるような一方的な史跡指定は、かえって遺跡の破壊につながりかねません。
こうした誤りに陥らないで、この重要な遺跡を保存するためには、国に対し十分な史跡保全の措置を要求しなければなりません。
それとともに、纒向遺跡の歴史上の意義や学術的な価値を学び、貴重な遺跡を損なうことなく後世に伝えていく課題などを、市民や県民が考えることができる機会を積極的につくっていくことが重要です。
日本共産党奈良県委員会は、これらの活動に積極的に協力するとともに、地元住民をはじめ、桜井市民、県民、文化財関係者との対話や共同を進め、かけがえのない歴史遺産である纒向遺跡の保全・継承のために力を尽くしていきます。
(了)